日本は格付け社会と言われる。
同じ物差しで測定し、それで順列を決めようとする。
例えば、英語があります。
英語はできる人が多いほうが良い。それはその通り。
ただ、英語ができることを競うことには大きな意味がない。
それこそ格付けができるくらいで。
社会全体で言えば、
同じく英語ができる人が100人いるよりも、
違う言語を操る人が100人いたほうが意義があるし、
強い集団になっていくと思います。
日本の受験という構造が格付けになっているところに大きな原因があり、
さらにはそれが社会に出てからも続いていることは大きな問題かと思います。
大企業で人事畑で働いている同級生が
自嘲気味にこんなことを言っていたことを思い出します。
「大企業は図体がデカいことで、代わりの人間はいくらでもいる。
同じやり方で競争させて、そこから勝ち上がった人間が上に上がっていく。
一方でデカいことで、部署もたくさんある。できない奴はそこに隔離してしまう。
結果、10年以上働いているのに、何もできない人間が量産されてしまう」
ライト・ア・ライトは、小さな会社です。
そして、在籍する全員が重要な戦力です。
一人でも戦力にならない人がいたら、
即座に立ち行かなくなってしまう。
だから、本気で育てるし、アドバイスもする。
ただ、その気持ちに応えるか答えないかは本人次第なのです。
先日の投稿でも書いたことですが、
今のライト・ア・ライトは強い組織と言われる。
それは、やはり一人ひとりが責任を与えられ、それを全うしようする人間が
揃っているからだと思います。
それぞれが専門のスキルを磨き、多様性を持っている。
それが強さの秘密なのかなと思うのです。