スージー鈴木さんの「恋するラジオ」という本があります。
この本は、僕にとって特別な思いがあります。共有できるものではないかもしれない。
スージー鈴木さんは、同い年の作家です。
それだけではありません。
鈴木さんは大阪、僕は岩手。
同じ地方都市から東京の大学に進学して、
そして卒業後は、広告代理店に入社。
ほとんど同じような道筋を辿ってきた。
音楽に左右されてきた人生という意味でも、すごく共感する部分が多い。
布団にかぶせて、こっそりラジオを聴いていた夜を思い出しました。
少年の頃、大学の頃、若手会社員の頃、
あの時感じていた不安も、期待も、すごく似通っていて、
自分の人生を振り返っているような、辿っているような気持ちになりました。
日本という国が、遮二無二に山をのぼりつづけ、そして、そこから坂道を転げ落ちていった。
その中で少年時代を過ごし、そして、日本のシステムが疲弊していくのを見てきた世代。
それが僕らなのかもしれません。
以前、鈴木さんが別の本の中で、
大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」という曲について書いていたことがあった。
僕たちはその時、高校3年だった。
1984年という時代の空気の中で、18歳という人生の分岐点を迎えていた。
そこにこの「そして僕は途方に暮れる」が街で流れていた。
それは本当に幸運だったと思う。鈴木さんと同じようにそう思うのです。
鈴木さんも、僕も、社会人生で言えば最後の直線に差し掛かっています。
だからこそ、いろいろ考えることが増える。わからないことが増えていく。
「そして僕は途方に暮れる」は、今もあの頃と同じように耳の奥で聴こえているのです。